寓話「あなたの兄のこと」

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あなたは自分にお兄さんがいたことを覚えてる?
もしかしたらまだ小さかったからあまり覚えていないかしら。

あの子は誰に対してもとっても優しくてね、本当にいい子だったの。誰でも、会った瞬間から彼のことを好きになってしまうような…そういえばどんな気難しい動物だって、あの子にはすぐに懐いてたわ。でも不思議なものね、あまりにも心優しいものだから、なんだか不安になってしまって。この子はもしかしたら何か普通ではない運命を授かっているのじゃないかしらって。

いま思えばその意味がわかるけれど、そのときにはまったくわかってなかった。でもそんな不安はほんの一瞬心をよぎるだけで、あとはただ「いい子で助かる、小さなあなたたちの面倒をよく見てくれて本当にいいお兄さんだわ」って思っていただけだったの。

あの日が来るまでは、、、だけど。でもそれはもっと後の話。

ある日、お兄さんは「家を出て行きたい」と言ったの。もっといろいろなことを学ぶために旅をしたいって。お父さんは兄に仕事を手伝ってもらっていたから、ちょっとだけ迷っていたけど「若い頃にいろいろな世界を見てくるのは良いことだ」と賛成してくれたわ。

といってもあの子が自分の意志をはっきりさせたのはそれが初めてで、そして最後のことだった。、、、そのときはそれが最後になる、とはまさか思っていなかったけれど。だから、私も少しさびしかったけど親としてはそうしてあげたいと思ったし、そうしてあげられたことは本当によかったと思っているわ。

彼の旅は長く続いて、いろいろなところから便りが届いた。名前も聞いたこともないような遠くからのこともあった。家族はみんな兄からの手紙をとても楽しみにしていて何度も読んでいたわ。

そして彼は帰ってきた。

みんなが驚くような成長を遂げてね。

ほとんどの人は彼を見たら何かことばにできないものを感じた。彼の周りにはいつでも多くの人が集まっていて話を聞いていたわ。話を聞いた人たちの反応はいつも同じで、とっても感動して彼を称賛するか、理解できなくて去っていくかのどちらかになっていたようだった。そのときから彼にはきっと何か大きな力が働いていたのね、これもいまになってわかることだけど。

でも当時はいったい何が起きているんだか、想像もつかなかった。そのうちにわたしたち家族は彼になんだか近づけなくなっていったの。確かにわたしの大切な子どもたちのひとりであなたたちの兄だけど、なんだか大きな流れの中で大事な役割を果たしているって感じがして、家族なのに、なんだか以前のようには話ができなくなくなっていたのね。

まさにそのとおりだったのだけど。

そして彼の力が目立つようになるにつれて噂がどんどん広がっていった。彼はもともと子供の頃から不思議な力があってまるで魔法みたいに人の心を読んだり、病気を治したりすることができたの。

帰ってきてからはその力が誰も疑えないような明らかなかたちになって働くものだから、それだけを求めてやってくる人たちもたくさん周りに集まるようになっていたわ。そしてそのあとのことは世界中のみんなが知っているから詳しく話す必要はないわね。

あの人はね、あなたのお兄さんだったのよ。

あの人がこの世界に生まれて、生きたことで本当にいろいろなことが、そのときはもちろんだけど、そのあと想像もつかなったようなかたちで世界の出来事に大きな影響を及ぼしたわ。そしてそれはもちろん素晴らしい影響のほうが多いと思う。人は彼の存在を通して初めて「愛」を知ったのですもの。

それまでの人間の心には愛というよりは「好き嫌い」や「欲望」のような情動しかなかった。そんなこの地上の世界に彼は「愛する」という考えの種を蒔いたのね。

それによってたくさんの人の心に「愛」が生まれた。
それを他の言葉で言えば「神との思い出が蘇った」ということね。

「自分は誰なのか?本当は何者なのか?どうしてこの世界がこんなふうになっているのか?」

そういう、それまでは答えようのない(答えがないものだから間違った答えだけがあってそれを信じている人たちがたくさんいたのだけど)質問へのこたえがそれを真剣に求めている人たちの心に生まれるようになったのだわ。

それはいまでも同じこと。彼が残してくれたことばのお陰で毎日誰かの心に愛が蘇っている。そのことを本当に嬉しく、わたしの子であることを母としてほんとうに誇りに思う。わたしがそう思っていいのか迷うぐらいに。でもいいことばかりじゃなくて悲しいことも起きた。神の愛という名の下に多くの人たちが戦い、裁き、裁かれて悲しい出来事も起きた。これほど悲しいことはないわ。「神の愛は絶対だ」という考えを都合のいいようにねじまげてしまえば何でもできてしまったのだから。

それでもあの子は諦めていない。
いまもひとりひとりの心に語りかけている。

「あなたは愛そのもの。そしてわたしの大切な兄弟だ」と。

彼はあなたの心にいまも生きている。あなたと一緒に。
あなたとひとつに、そしてすべての兄弟とひとつになることを心から願って。

わたしの話はここで終わるけど、これで終わりじゃない。
ここからはあなたが自分自身の心に従って生きていくの。

あなたが心から願っているのはそのことだって彼は知っているのだから。

だから、どうか忘れないで。

あなたが歩くその道には、いつも彼がともにあることを。


by lks_itnr | 2025-09-09 06:00 | エッセイ